森友事件の影の主役は内閣人事局=霞が関キャリア官僚は「安倍政権の奉仕者」、忖度でなく構造上の問題 – BLOGOS



▲上記の小沢一郎氏のツイートの意味するところが、非常によく分かるインタビュー記事を私、まとめたことがありますので、以下紹介します。(が、2014年10月にインタビューしたもので一部抜粋になります)

公務員の役割と権利を考える
晴山一穂 専修大学教授インタビュー

 重要な憲法の視点から考える公務員の役割
 国民主権など憲法3原則ふまえ「全体の奉仕者」へ

 ――きょうは晴山先生に「公務労働者の役割と権利」についてお話をうかがいます。最初に公務員の役割についてお聞かせください。(聞き手=井上伸

 公務員の役割を考える場合、常に2つの基本的な視点を持つことが重要です。1つは、日本国憲法の視点で、もう1つは、公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割という視点です。

 まず、憲法の視点から公務員の役割を考えることの重要性についてです。日本国憲法が直接公務員のことを規定した条文としては憲法15条の1項と2項があります。ただし、15条の意味を考えるにあたっては、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の保障、そして平和主義という憲法3原則を踏まえた上で、行政の担い手である公務員の位置づけについて、15条で規定していると捉えることが大事になります。国民主権など憲法3原則を除いた形で15条だけ単独で取り出して公務員の役割を考えるということは適切ではないわけです。

 この点を踏まえた上で憲法15条をみていきましょう。15条1項では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とし、2項では「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定しています。この1項と2項はいずれも憲法の基本原理である国民主権の表れなのですが、この規定の意味をより深く知るためには、戦前の官吏制度を振り返ってみる必要があります。

 「一部の奉仕者」だった戦前の公務員

 戦前の官吏(現在の国家公務員の中核部分に当たる人)は、大日本帝国憲法(明治憲法)のもとで、「天皇の官吏」として天皇に身分的に隷従し、天皇とその政府にだけ奉仕する存在でした。国民から見れば、絶対的な主権者であり統治権を総攬する天皇に奉仕し、国民を支配する特権階級だったわけです。そして、官吏の任命は、議会も関与できない天皇だけの権限であるといういわゆる「任官大権」が憲法で定められていました。こうした強大な官吏集団と軍部に支えられた絶対主義的天皇制、天皇主権のもとで、日本は軍国主義国家としてアジア諸国への侵略戦争へと突き進み、太平洋戦争を経て敗戦を迎えることになります。

 こうした歴史への反省に立って、戦後の日本は、天皇主権に立つ大日本帝国憲法から国民主権に立つ日本国憲法へと転換を遂げることになります。戦前の「天皇の官吏」のあり方は全面的に否定され、公務員は国民全体の奉仕者になるとともに、「任官大権」も否定され、公務員を選ぶのは国民固有の権利であることを15条1項で明記させることになります。

 もちろん、実際にすべての公務員が選挙で国民に選ばれるわけではありません。現在選挙で選ばれるのは国会議員と地方自治体の長、地方議会の議員ですが、国の場合には、国民によって選ばれた国会の多数派が内閣を組織し、内閣を構成する各省大臣が公務員を任命します。地方の場合にも、住民が選んだ長が公務員を任命する、ということを通して、つきつめれば国民に公務員の選定権があるということになるのです。つまり、公務員の地位は、国民から離れた一部の権力者によって付与されるのではなく、究極的には国民の意思によってのみ成立する、という国民主権という鏡を通して公務員の地位を照らし出した規定が15条1項になります。

 15条2項の公務員が「全体の奉仕者」であるということも、同じ考えに立つものです。とりわけ注意する必要があるのは、公務員は「一部の奉仕者ではない」とわざわざ付け加えられているところです。これは、戦前の官吏のように、天皇を頂点とする一部の支配者に奉仕するのではなく、まさに国民全体に奉仕すべき存在であり、国民主権に立った公務員であるということを明確に性格規定しているのです。

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割

 ――2つめの視点としてあげられた、公務員制度の歴史から見た公務員の役割とはどういうことなのでしょうか?

 公務員制度の歴史から見た現代国家における公務員の役割を考える際に、参考になるのが、アメリカの公務員制度の歴史です。また、戦後日本の国家公務員制度は、アメリカの公務員制度にならってつくられたもので、憲法の制定と並行しながら、GHQが自国の専門家を呼んで、憲法の理念を踏まえながら国家公務員制度のあり方が構想され、国公法が制定されたわけです。その点からしても、アメリカの公務員制度の歴史を踏まえておくことが日本の公務員制度を考えるときにも大切なのです。

 19世紀当初のアメリカの公務員制度は、猟官制という慣行が支配していました。猟官制というのは、一言でいえば、大統領選挙で政権が代わるごとに大量の連邦公務員を更迭する仕組みです。アメリカでは早くから2大政党制が発達するわけですが、そのもとで、ある政党が大統領選挙で勝利すると、その政党の支持者を公務員に任命します。そして、次の選挙で別の政党の大統領が当選すると、今度はその政党の支持者へと公務員を入れ替えます。これが猟官制の基本的な仕組みです。

 ある意味ではこの猟官制はアメリカ的な民主主義の表れともいえるわけです。民意に従って政権を選び、その政権が民意を踏まえた政策を徹底して遂行するために、それを支持する公務員で固める。そして次の機会に民意が変われば、それに従う。非常に単純に考えれば民主主義の究極の形態ともいえるのですが、官職を得るために政治家と金銭でつながるなど行き過ぎた猟官運動が広がる中で、次第に当初の民主的理念を失い、腐敗の度を強めて、最後は大統領が暗殺されるという事件まで起こってしまいます。

 アメリカの猟官制の腐敗と高度で専門的な
 職務への変化による成績主義の確立

 他方で、資本主義の発展に伴いさまざまな社会的矛盾が激化する中で、国家機能が著しく拡大・多様化し、公務員の職務内容も当初の比較的単純な職務から高度で専門的な職務へと大きく変化します。猟官制で選挙のたびに入れ替わる数年間だけの公務員というのでは、その高度で専門的な職務を担うことはもはや不可能になっていきます。

 この猟官制の腐敗と、高度で専門的な職務への変化によって、アメリカでは、100年くらいの長い歴史を経て、猟官制から成績主義へと移行が進められることになります。

 成績主義というのは、党派的立場によってではなく、公務の担い手としての客観的な能力や資格を備えているかどうかを基準に公務員を任用するというものです。成績主義による公務員の役割は、時の政権の政治的支持者として政権に奉仕することではなく、自らの専門的能力を活かして、政権交代の有無を問わず永続的な立場に立って、公正中立の観点から国民全体に奉仕することにある、ということになります。

 こうしたアメリカでの猟官主義から成績主義への転換を踏まえた形で、現在の日本の公務員制度ができ、成績主義を踏まえた憲法の「国民全体の奉仕者」という日本における公務員の役割が基本的に確立されたわけです。

 アメリカの成績主義やドイツのワイマール憲法から
 日本国憲法の「全体の奉仕者」が生まれた

 ――アメリカでの猟官主義から成績主義への移行と、日本国憲法が制定される時に「全体の奉仕者」と明記されたのは、どういった時間軸での関係になるのでしょうか?

 アメリカの猟官制が腐敗していったのが19世紀半ばから後半にかけてで、資本主義の高度化が19世紀末から20世紀でした。そこから大きく転換して、今の現代的な公務員制度の元になった法律が1883年にアメリカで制定されます。

 しかし、そこで一気に成績主義に変わったわけではなく、完全に成績主義に変わるまでにはごく最近までかかっています。アメリカでは20世紀初頭からそういう流れになって、戦後日本のモデルにした時には大きく成績主義に転換を遂げつつあったということです。

 それから、「全体の奉仕者」という規定が憲法に盛り込まれた理由については、最近、憲法の制定過程を調べ始めています。具体的にこれが理由だという明確なものはまだわかっていないのですが、同じ規定がワイマール憲法にあったということがわかっています。ワイマール憲法は第1次世界大戦後、ドイツの社会民主党政権のもとでできた、その時代の最も先進的で民主主義的な憲法と言われています。そのワイマール憲法には、「ドイツの官吏は国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」という規定があるのです。日本国憲法の制定はGHQの十数名のメンバーが中心になって起草しているのですが、法律の専門家が多くて、世界各国の憲法と日本の各種憲法草案も取り入れながら、いわゆるマッカーサー草案をつくっていったと言われています。その過程の中で、「全体の奉仕者」の規定についてはワイマール憲法が参考にされたということが共通して言われていることなのです。

 そうすると、日本国憲法15条1項・2項は、猟官主義から成績主義へというアメリカの歴史だけではなく、ドイツのワイマール憲法も含めて、普遍性を持った現代国家における公務員の位置づけを定めた規定ではないかと最近は考えるようになっています。

 「一人ひとりの人民の集合体としての
 コミュニティ全体の奉仕者」=公務員

 憲法制定過程はもっと調べていきたいと思っていますが、もうひとつ気になっている点について言うと、日本国憲法15条2項の英文の規定は「Public officials are the servants of the whole community」で、全体社会と言いますか、国家でもなく、ただの全体でもなく、まさに人々の集合体であるコミュニティというのが起草したもともとの言葉なのです。それを「全体の奉仕者」という非常に抽象的な日本語を使ったものですから、「全体主義的」な意味で捉えられたり、「全体の奉仕者」だから公務員は国家に尽くせ、ストライキなんかとんでもない、といういわゆる権威的な「全体の奉仕者論」になってしまうという負の側面も出て来てしまいました。当初の最高裁などは、それによって公務員の労働基本権の制限を合理化しました。



 英文規定はGHQとやりとりした日本の法制局の官僚が日本語に訳したわけですが、意図的に「whole community」を「全体」と訳したのではないかという指摘もあります。せめて国民をつけて「国民全体の奉仕者」と規定すべきだったのを、国民も落として「全体」としたのではないかというわけです。この点についてもどこまで信憑性があるか確認しなければいけない問題なのですが、いずれにしても15条における「全体の奉仕者」というのは、もともとは抽象的な「全体の奉仕者」ではなく、文字通り「一人ひとりの人民の集合体としてのコミュニティ全体の奉仕者」が公務員なのだという趣旨です。その意味でも、非常に普遍性をもった国民主権のもとでの公務員のあり方だと捉えるべきではないかと考えています。


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