(上)インディゴ気仙沼 たどり着いた「ブルー」 – 産経ニュース



 ■変わる街から幻の藍を

 種が手渡された。海を渡り、時を越えて。

 宮城県気仙沼市。大漁旗ひしめく港から500メートル。トレードマークのみそ樽(だる)を探して歩く。みそやしょうゆの醸造元として昭和初期に建った洋館の縁側に、インディゴ(藍)染料が詰まったバケツが並んでいた。

 おしなべて平均所得が低い地方都市。全国平均は560万円だが、気仙沼は270万円。半分足らずだ。

 震災はとりわけ女性の生活を厳しくした。第1次産業が廃れ、働き口は事務職が中心。若年層は職にあぶれ、街を出た。震災前年から6年間で女性の人口は5千人減った。

 学校の校庭に仮設住宅が建った。遊ばせる場所も預ける施設もない。

 藤村さやかさんは悩んでいた。フードライターを経て平成25年、地元男性と結婚、東京から移った。妊娠、出産を経て、震災後の気仙沼に思った。「こうしたらもっと生活が楽になるのにな」

 “ママ友”のサークルを作り、児童医療手当の対象年齢引き上げを市長にも掛け合った。

 「家計を助けたい」という母親の声も聞いた。子育てをしながら働ける場所はないか。

 気仙沼は海の街だ。海は青、では青は…。

 藍染め工房があった。地元の女性による手作り製品が売りだった。だが、震災後に助成金が打ち切られ、存続が危ぶまれていた。

 海は青、藍のいろ。代表を引き受けた。27年、インディゴ気仙沼が誕生した。

 使うのはインド藍だ。1年に何度も収穫でき、インディゴ含有量が多く、家事や子育てに追われる母親の強い味方だ。でも、もっと気仙沼らしいものを作りたい。ネットや文献をあさる藤村さんの目に、ひとつの染料が留まった。

 南仏のトゥールーズ。中世から姿を消していた染料「パステル」を現地チームが復活させていた。

 ナポレオン軍の制服にも採用されたパステルは、扱いやすいインド藍の輸入や化学染料の発明で姿を消した。当時の抽出法も残されていなかった。

 パステルで染めた布は、灰がかった青になる。染め重ねるほど灰色味を増す。

 晴れ間の少ない気仙沼の春夏秋冬。イメージにぴったりだった。染色の師に思いをぶつけた。

 「たどり着いたね」

 師が持っていたトゥールーズの種が手渡された。

 パステルは涼しい気候を好む。気仙沼は生育条件に合っていた。日本で初めて栽培、収穫に成功し、いろを取り出した。

 ガラス瓶に詰められたパステルの染料。この夏には最初の「気仙沼ブルー」が染まる。

 自分たちの手で製品を作り、海外からの視察も増えたある日。市内の男性が工房を訪れた。手にしていた白いハンチング帽は、土まみれだった。

 父のものだという。津波が来たとき一緒にいた。自分は助かったが、父は波にのまれた。泥がついた帽子だけが残った。

 「藍で染め直したら落ちるんじゃないかな」

 藤村さんが言った。

 その男性は自分で染めてみたいと言った。

 バケツの藍に帽子をくぐらせる。ぎゅっと搾る。液が滴る音がする。

 染色作業は心を静める。

 「“いいんだよ”と父が言ってくれているような気がした」。帰って行く足取りは、どこか軽かった。

 気仙沼に移り住んだ当時、そこかしこに家の空き地があった。「色彩のない街だな」と思った。

 今は違う。防潮堤ができ、災害公営住宅が建った。街のいろは変わりつつある。そして、自分も。

 気仙沼ブルー。誰が、どう、まとうのだろう。その日を心待ちにしている。(千葉元)

                  ◇

【用語解説】インディゴ気仙沼



 「藍工房 OceanBlue」として平成25年に発足。「すべての原材料を表示できるアパレル」を目指し、農業アドバイザーと協力して藍を自家栽培する。スカーフのほか、Tシャツや赤ちゃん用のよだれかけなども手がけている。藍染めされた布はUVカット効果や抗菌作用、保温性が向上。生まれたばかりの子供にもやさしい製品を生み出している。


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