「企業保育園」の課税減免 固定資産税と都市計画税2分の1から3分の1 … – SankeiBiz

 栃木県佐野市は平成30年度から県内の自治体に先駆け、企業の設置する認可外保育園の固定資産に対する固定資産税と都市計画税を2分の1から3分の1に減免し、子育て支援に力を入れる。

 今年度の税制改正で「企業型保育事業」に対し、自治体で課税標準を軽減できる「わがまち特例」が導入された。これを受け、同市は9月の市議会で関係条例を改正した。

 対象は国の企業主導型保育事業補助金を利用して企業が設置した認可外保育園で、その保育園の土地・家屋・償却資産など固定資産について最初の5年間、固定資産税と都市計画税が減免される。

 市内の待機児童は今年4月時点で16人で、市は「待機児童解消を含めた子育て環境の整備につなげたい」としている。

約98%が自動車に係る税金を負担と感じている!「2018年度税制改正 … – 時事通信

[JAF]

JAF(一般社団法人日本自動車連盟 会長 矢代隆義)は、7月14日(金)から8月20日(日)まで「自動車税制に関するアンケート調査」を実施し、その集計結果を踏まえて「2018年度税制改正に関する要望書」としてまとめ、公開いたしました。

アンケートの結果、実に98%の回答者が自動車に係る税金を負担と感じていることから、JAFは、自動車税制の抜本的な見直しを求めています。要望内容は次のとおりです。

JAFは、このような自動車ユーザーの声を自動車税制改正に反映させるべく、各政党、国会議員、関係省庁、自治体等へ本要望書を提出し、自動車関係諸税の簡素化・負担軽減と公平・公正・簡素な税制の実現に向けて、全国での街頭活動等のさまざまな要望活動を展開していきます。

■詳細はこちらから
JAFの自動車税制改正に関する要望活動 http://www.jaf.or.jp/profile/report/youbou/
2018年度税制改正に関する要望書自動車税制に関するアンケート調査
自動車税制に関するアンケート調査
http://www.jaf.or.jp/profile/report/youbou/documents.htm

企業プレスリリース詳細へ (2017/10/19-12:01)

定期航空協会、平成30年度税制改正要望 航空券連帯税の導入に反対 – FlyTeam

定期航空協会は2017年10月、「平成30年度税制改正に関する要望」の内容を公表しました。定期航空協会は、日本航空(JAL)、ANAホールディングス、全日空(ANA)、日本貨物航空(NCA)、日本トランスオーシャン航空(JTA)、日本エアコミューター(JAC)、AIRDO、エアージャパン、ソラシドエア、スターフライヤー、ANAウイングス、ジェイエア、スカイマーク、フジドリームエアラインズ(FDA)が加盟しており、政府などへ陳情をおこないました。

要望事項は3項目で、国内線就航機に対する固定資産税特例措置の延長、空港で使用される特殊作業用車両の動力源の用に供される軽油に係る特例措置の延長、航空券連帯税(仮称)の導入反対です。

国内線就航機に対する固定資産税は現在、特例措置が適用されていますが、この2年間延長を要望しています。最大離陸重量に関わらず国内線就航機は最初の3年間を3分の2に軽減、地方路線の就航時間割合が3分の2以上で200トン未満の場合、最初の5年間で5分の2、羽田と伊丹発着以外の就航時間の割合が3分の2以上で30トン未満の場合、最初の5年間は4分の1、30トン以上50トン未満で初年度8分の3、その後4年間を5分の2に軽減するものです。

特殊作業用車両の軽油引取税は現在、一定規模の旅客・貨物需要のある国内38空港で免税が適用されていますが、特例措置の3年間延長を要望しています。パッセンジャーステップ、メインデッキローダーなどで利用する軽油に関連する税で、免税軽油使用量は年々増加しています。

航空券連帯税は、導入国から出発する国際航空券に税を上乗せして徴収するもので、国際機関「UNITAID」が主体となり途上国の保健衛生分野の援助などを目的に導入されている税です。定期航空協会は、この税の創設は航空券の課税に合理的な理由が無く、「観光先進国」や「地域経済活性化」への阻害要因になり得ると主張し、当初から反対の姿勢を示しています。

「航空券連帯税」は、先進国ではフランス、日本の近隣は韓国が導入していますが、2015年度現在の導入国は14カ国と一部に限られ、「稀な税」と説明しています。なお、徴収額はフランスがエコノミーで4.51ユーロ、ビジネス・ファーストは45.07ユーロです。

【電子版】論説室から/トランプ氏が初来日、日本は自由貿易の重要性訴え続けよ – 日刊工業新聞

トランプ米大統領が11月5日に就任後初めて来日し、翌6日に日米首脳会談が予定されている。北朝鮮による拉致、核・ミサイル問題に対する日米間の強固な同盟関係を国際社会に訴えることが主要な議題となる見通しだ。一方、通商問題についても話し合われる可能性が高い。10月16日の日米経済対話で、ペンス米副大統領は日米間の自由貿易協定(FTA)締結に強い意欲を示した。トランプ大統領がFTAに言及して対日貿易圧力を強めるのか、日本政府は警戒感を強めている。

日本としては、米国を除く環太平洋連携協定(TPP)署名11カ国(TPP11)による同協定の大筋合意、早期発効を実現することが当面の課題となろう。11カ国は11月10日にベトナム・ダナンで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での大筋合意を目指している。日本はこのTPPを市場開放の上限であることを早期に米国に発信することが肝要ではないか。米国は韓国とのFTA再交渉や北米自由貿易協定(NAFTA)交渉を抱え、日本の交渉順位は相対的に低いとされる。日本政府はこの時間的猶予を活かし、TPP11のルールづくりを急ぐことから取り組むべきだろう。

興味深い分析がある。政策研究大学院大学の川﨑研一特任教授の分析によると、日本は米国抜きでもTPP発効による経済効果はあまり変わらない。米国を含む12カ国でTPPを発効した場合、日本の実質国内総生産(GDP)成長率は1.37%押し上げられるが、米国抜きの11カ国でも押し上げ効果は1.11%を見込む。仮に米国が興味を示す日米FTAの場合でも日本の成長率は1.07%押し上げられ、一定の経済効果を期待できる。

他方、米国は日米FTAで0.38%しか成長率は押し上げられないと分析。米国がTPPに参加した場合の押し上げ効果0.72%から半減するという。「米国第一主義」を掲げるトランプ大統領が真の国益を追求するよう願わずにはいられない分析結果だ。

今回の日米首脳会談で、トランプ大統領は日米FTAに言及するのか、大統領の言動は見通しにくい。2018年に中間選挙を控える中、連邦法人税率を35%から20%に引き下げる税制改正案などが頓挫するような事態となれば、対日圧力が一気に強まることも想定される。その場合、日本の農畜産分野が標的になるとみられる。例えば牛肉。経済連携協定(EPA)を締結している豪州に対し、TPP離脱を表明した米国は関税率の点でますます厳しい競争にさらされる。すでに米国は日本が課している米国産冷凍牛肉への緊急輸入制限措置(セーフガード)の緩和を求めており、TPP11のルールよりも厳しい市場開放を求めてくる可能性は否定できない。

ただ、自動車(乗用車)の輸入では日本は関税率ゼロなのに対し、米国は2.5%の関税を課している。日本は10月16日の日米経済対話で、輸入車に対する排ガス検査手続きの緩和で譲歩しているのだから、日本政府は不公平な関税について「言うべきことは言う」姿勢で米国との交渉に臨むことが期待される。また米国の国益にかなう同国のTPP復帰を粘り強く訴え続けていくことも必要だ。

たとえ淡い期待であっても、自由貿易圏拡大の旗を降ろすことはできない。

(神崎正樹)

(このコラムは執筆者個人の見解であり、日刊工業新聞社の主張と異なる場合があります)

<米欧回覧と文明開化>第4回~「国民皆学」と「国民皆兵」 – 読売新聞

 岩倉具視、木戸孝允らがアメリカに長逗留(ながとうりゅう)している間、留守政府の大隈重信や井上(いのうえ)(かおる)、江藤新平、山県(やまがた)有朋(ありとも)らは、使節団との「約定」に拘束されず、軍事・教育・税制面で近代化政策を展開していきます。

 この「約定」というのは、使節団出発3日前の1871(明治4)年12月、岩倉や木戸、大久保利通らの使節組と、留守を預かる三条実美(太政大臣)、西郷隆盛(参議)、大隈重信(同)、板垣退助(同)らの間で交わされた、「約定12か条」の覚書のことです。

 覚書は、「国内外の重要案件は、お互いの報告を欠かさない」、「内地の事務は、大使が帰国のうえ改正するので、なるべく新規の改正をしない」、「諸官省長官の欠員は任命せず、官員も増やさない」などとしていました。

 つまり、新規事業や重要人事を事実上、凍結する内容でした。しかし、留守居組は、大隈の表現を借りれば、既定の施策はもとより新規の政策を、「前後を顧慮する(いとま)もなく」、あれよあれよという間に「短兵急に断行」(『大隈伯昔日(たん)』)していったのです。

 しかし、その後、使節団のアメリカでの条約交渉失敗をはじめ、留守政府による新規政策や太政官制改革など「約定違反」の出来事が相次ぎます。それは使節団と留守政府との間に(きし)みを生じさせ、岩倉使節団帰国直後の大政変(明治六年政変)の一因になります。

 明治維新が人々にもたらした変革のはじまりは、封建的身分制度の廃止でした。

 69年の版籍奉還で藩主―藩士の主従関係が解消されたのに伴い、政府は、これまでの藩主・公家を「華族(かぞく)」、藩士や旧幕臣を「士族(しぞく)」、百姓・町人を「平民(へいみん)」と定めました。72年、平民には、苗字(みょうじ)(名字)をつけることが初めて許されました。また、華族・士族・平民相互の結婚も許可されました。

 71年5月には戸籍法が定められ、「四民(士農工商)平等」の見地から、これまでの身分を基本にした「宗門(しゅうもん)人別帳(にんべつちょう)」をやめ、居住地別に記載する統一戸籍が編成されます。

 73(明治6)年当時の日本の総人口は、合計3330万672人だったというデータがあります。内訳は華族2829人、士族154万8568人、卒(足軽などの下級武士)34万3881人、平民3110万6514人、その他(僧侶や神職など)29万8880人で、平民が全体の93%を占めていました。

 71年10月、政府は、いわゆる解放令(穢多(えた)非人(ひにん)等の称廃止令)を布告し、封建的身分制度で最下層だった賤民(せんみん)身分を廃止し、身分・職業は「平民同様たるべき事」としました。ところが、行政府みずからが廃止令に反し、旧賤民身分に「新平民」の呼称を用いて差別扱いしました。その後も、被差別部落の住民に対する社会的、経済的な差別は解消されず、西光(さいこう)万吉(まんきち)らが差別の撤廃を求めて「全国水平社(すいへいしゃ)」を結成するのは、1922(大正11)年のことです。

 明治維新当時、わが国には、徳川時代からの寺子屋や藩校、郷学(きょうがく)、私塾など多数の教育機関がありました。

 維新政府の成立宣言といえる「五箇条の御誓文(ごせいもん)」は、「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り」「智識(ちしき)を世界に求め」と、新しい教育の指針を示しました。

 69(明治2)年1月、木戸孝允は、「人民の富強こそが国の富強」の礎であり、一般人民に知識がなくしては維新も空名(くうめい)に終わるとして、「全国に学校を振興」するよう唱えました。伊藤博文も、東西両京に大学を、郡村に小学校を設けることを提案しました。

 ただ、こうした文明開化の教育路線は、儒学や国学中心の教育を求める論者から批判を受け、直ちに政府の受け入れるところにはなりませんでした。

 廃藩置県直後の71年9月、教育行政を担当する文部省が設置され、文部大輔(たいふ)(文部次官)の江藤新平(1834~74年)が最高責任者になりました(文部卿=文部大臣は欠員)。

 当時、新政府の教育行政機関だった「大学校」は、国学派と儒学派と洋学派が対立して紛争を続けていました。江藤は、文部省に加藤弘之(のちの東京大学総長)や箕作(みつくり)麟祥(りんしょう)(のちの行政裁判所長官)ら洋学者を採用し、教育行政にも啓蒙(けいもう)主義路線を敷きます。

 江藤と同じ佐賀藩出身の大木(おおき)喬任(たかとう)(1832~99年)が文部卿に就任し、72(明治5)年9月、日本の基本的な学校制度を定めた法令「学制(がくせい)」が公布されました。


 「学制」の趣旨を明らかにした「被仰出書(おおせいだされしょ)」(学事奨励に関する太政官布告)を読んでみましょう。

 まず、「学問は身を立るの財本(ざいほん)」にして、「人たるもの誰か学ばずして可ならんや」と、国民すべてに学問が必要だと強調。そして今後は、「一般の人民、必ず(むら)不学(ふがく)の戸なく、家に不学の人なからしめん事を期す」と、男女の別なく、すべての子供を小学校に就学させるとしています。

 言わば<国民皆学(かいがく)>のススメです。

 また、授業も、「国家のため」と唱えて「空理(くうり)虚談(きょだん)」(無駄な理屈)に陥っていた従来型を改め、読み書きそろばん、職業上の技芸、法律・政治・天文・医療など実学を重視するよう求めました。

 この内容は、福沢諭吉著『学問のすゝめ』(72年3月に初編刊行)に記された「一身独立して一国独立す」の思想の影響がみられます。当時、福沢の感化力は大きく、「文部卿は三田(慶応義塾の所在地)にあり」とまでいわれていたそうです。

 学制の本文は、全国を8大学区に区分し、各大学区に大学校1、中学校32、各中学区に小学校210を設ける計画を示し、国民はすべて6歳で入学するとしていました。学区制はフランスがモデルでしたが、これだと小学校を全国で計5万3760校もつくる勘定になります。人口600人に1校というのは、いかにも非現実的で、結局、机上のプランに終わりました。

 しかし、文部省は、小学校の設立に力を注ぎ、75年には全国に2万4303校が生まれます。就学率も35%(男子51%、女子19%)になりました。就学が敬遠された理由は、児童が貴重な労働力であったことや授業料負担にあったようです。

 73年の「小学教則」で、教科は「読物・算術・習字・書取・作文・問答・復読・体操」の八つに定められました。福沢が世界の地理や歴史について書いた『世界(せかい)国尽(くにづくし)』も、授業で使われていて、児童らは「世界は広し万国は、多しといえど、おおよそ五つに分けし名目は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北と南のアメリカに、境限りて五大州」などと、名調子の七五調で暗唱し、世界への目を養いました。


 政府は71年3月、薩摩・長州・土佐の3藩の合計1万の兵によって、親兵(のち近衛兵に改称)を編成し、自前の軍隊をもちました。8月に廃藩置県の詔書が出されると同時に、兵部(ひょうぶ)大輔(たいふ)に就いた山県(やまがた)有朋(ありとも)(1838~1922年)は、旧藩兵の解散を告示し、全国の兵権(へいけん)(軍を指揮する権能)を掌握します。

 72年4月、兵部省が廃止され、陸軍省と海軍省が置かれ、山県は陸軍大輔に任命されました。長州藩士の山県は69年から、薩摩藩士の西郷(さいごう)従道(つぐみち)(1843~1902年、隆盛の弟)とともに赴いた、1年間にわたるヨーロッパ軍制視察で、西洋文明の洗礼を受けていました。兵制の採用にあたり、山県は、「プロイセン式」を志向しましたが、陸軍はすでに「フランス式」を決定済みでした。

 同年12月、「全国募兵」の制を設けるとの徴兵の詔書が発せられます。次いで翌73年1月10日、国民の兵役義務を定めた徴兵令が出されます。

 徴兵の詔書と同時に公にされた太政官の告諭(こくゆ)は、大政一新して、士族も平民も等しく皇国の民であり、国に報いる道に別はない、と述べています。国民皆兵(かいへい)論者だった故・大村益次郎の遺志は、ここに生かされました。

 しかし、国民皆兵制は士族の既得権を(おびや)かすものでしたから、政府内でも賛否両論が沸き上がりました。

 反対論者は、「武芸や戦争を知らない農工商の子弟は、その任に()えられない」「我が国の地勢では、ヨーロッパの大陸諸国のように徴兵で大兵を備える必要はない。英米両国のように志願制がよい」などと主張しました。

 これに対して、賛成派は「志願制にすれば、薩長その他の強藩の兵ばかりになり、戊辰戦争で敗れた東北諸藩の兵士は徴兵を拒否し、そこに対立が生まれる」「財政上も、志願制は徴兵制に比べ、多額の経費を要する」などと反論しました。

 徴兵の詔書が出た翌日の72年12月29日、大きなスキャンダルが発生しました。政商・山城屋(やましろや)和助(わすけ)が陸軍省内で割腹自殺したのです。

 山城屋は長州藩奇兵隊で山県の部下でした。陸軍省出入りの御用商人として、巨利を博し、パリで豪遊していたところを目をつけられ、帰国後、借用した公金の返済を迫られ万事休したようです。

 この不祥事で山県は窮地に追い込まれ、近衛都督を辞します。西郷参議がこれを兼務し、近衛兵の動揺を抑えて、山県は政治生命をつなぎます。それでも山県には、幕末の長州藩で奇兵隊という精兵をつくりだした実績がありました。それが徴兵制反対論を抑えるうえで役立ったといえます。

 徴兵令によると、男子17歳から40歳までを兵籍に登録して国民軍とします。20歳をもって徴兵検査を行い、さらに抽選をもって現役に徴募して3年の常備軍を編成するとしていました。

 常備軍役を終えた者は、家に帰って仕事をしますが、年に1度の短期勤務のある第一後備役2年、勤務のない第二後備役2年の合計7年間にわたる兵役義務を定めていました。

 しかし、徴兵令にはたくさんの「例外」(免役制)が設けられていました。

 例えば、身長5尺1寸(約1メートル54センチ)未満の人や、官吏、医科学生、海陸軍・官公立学校生徒、外国留学者などは兵隊にとられませんでした。また「一家の主人」(戸主)とその後継ぎ、一人っ子、一人孫などや、養子も除外されました。このため、徴兵検査の前にいったん誰かの養子に入って徴兵を逃れる「徴兵養子」という言葉がありました。

 さらに代人料といって、270円を上納すると「常備後備両軍を免ぜられる」という金持ち優遇の仕組みもありました。つまり、国民皆兵といいながら抜け穴だらけで、「徴兵逃れ」は後を絶ちませんでした。

 陸軍現役兵の徴集人員は、73年の2300人で始まり、次第に免役条件が狭められ、「国民皆兵」の原則に近づいていきます。

 明治政府は、各藩の借金を引き受けました。ただし、そのすべては負いかねるとして、踏み倒したケースも多かったようで、大名に金を貸していた34の商家のうち23家が倒産したと言われます。

 発足したばかりの明治政府の財政は、それだけ困難を極めていました。各省から予算要求が殺到し、それぞれの政策を実施するには安定した財源が欠かせませんでした。

 政府の歳入は、それまで農民が年貢として納める米で賄われてきました。ところが、豊年と凶年で収穫高に増減があるうえ、全国から集まる米の保管も大変でした。

 土地税制改革は、摂津(せっつ)県知事だった陸奥(むつ)宗光(むねみつ)らが具体的なプランを提出し、論議が活発化しました。とくに政府機関の制度寮にいた神田孝平(たかひら)は70年、米納原則の弊害を指摘、田地売買を許可し、金納(きんのう)に改めるよう提案しました。

 こうした中、大蔵省は、財政再建を期して土地と税制の大改革、すなわち「地租(ちそ)(土地に対して課する収益税)改正」にいよいよ着手します。

 岩倉使節団出発前の71年10月、大蔵卿・大久保利通と大蔵大輔・井上馨が、統一国家にふさわしい新税制の必要を建議します。租税負担の公平を図ること、「米納」に変えて「金納」租税に統一すること、土地売買の自由などが政府の基本方針として打ち出されます。

 72年、田畑永代(えいたい)売買(ばいばい)の禁止令を解除、土地の所有者を確定し、地券(土地所有権を示した証券)を与えます。地券には、土地収益から算定した地価が記載されており、これに基づいてその3%を地租として徴収することにしました。さらに地方税として1%が加算されることになります。

 地租改正は、73年7月に条例が公布され、81年までにほぼ完了します。

 政府は旧暦(太陰(たいいん)太陽暦)を廃止して太陽暦を採用することにしました。これも西洋諸国にならったものです。

 その移行を前にして72年11月9日(旧暦)、改暦の式が皇居で行われました。明治天皇は伊勢神宮を遥拝(ようはい)した後、明治5年12月3日をもって明治6年1月1日となす、と告げました。

 天皇が正院で太政大臣・三条実美に示した改暦の詔書によれば、その理由として、2、3年ごとに「(うるう)月」を置かなければならない太陰暦に比べて、太陽暦は4年ごとに1日を加えればよく、最も精密で極めて便利である旨を挙げていました。

 また、これとは別に、国家財政の上からも太陽暦導入の必要に迫られていました。明治政府は、官吏の俸給を前年から月給制としたため、13か月になる閏年では、支出額が1か月分増えてしまいます。当時、そんな財政余力はなく、来年に閏年が迫る中で、太陽暦の実施を決断したというわけです。

 しかし、突然の暦の変更で迷惑をこうむったのは庶民です。当時は、商取引で「大晦日(おおみそか)払い」が多く、突然、それが1か月繰り上げられたわけですから、商工業者らはさぞや大あわてしたことでしょう。

 こうした新政府による一連の近代化政策は、国民の間に新たな負担・不安感を与え、これに反対する「一揆(いっき)」が頻発します。

 とくに徴兵制の「兵役義務」は、これを忌避する道はあったにもかかわらず、反発が広がります。とくに徴兵告諭の中に、西洋人は兵役を称して「血税」と言い、「其生血(そのいきち)(もっ)て国に報ずるの(いい)(意味)なり」と書かれていたことから、徴兵が生き血をとるという流言を生んだのです。

 このため、徴兵令制定の73年から74年にかけて、三重や福岡、大分、愛媛各県など西日本を中心に徴兵令反対の農民一揆(血税(けつぜい)一揆)が続発しました。73年5月の北条県(岡山県)美作(みまさか)地方の一揆には、大阪鎮台の軍隊が出動し、処罰者は死刑も含めて2万7000人近くに上りました。

 これら一揆の理由には、徴兵だけでなく地券発行や断髪・洋服、小学校の建設費負担、新暦採用なども挙げられていました。なかでも地租改正は、農民たちに対し、これまで以上に重い税が課されるのではないかという強い不安を与えていました。税の軽減を求める一揆の発生を受けて、政府は77年、地租の税率を2.5%に引き下げます。

【主な参考・引用文献】
▽中村隆英『明治大正史(上)』東京大学出版会▽宮内庁『明治天皇紀 第二』(吉川弘文館)▽山住正己『日本教育小史―近・現代』(岩波新書)▽岡義武『山県有朋―明治日本の象徴』(岩波新書)▽山本正身『日本教育史―教育の「今」を歴史から考える』(慶応義塾大学出版会)▽山住正己校注『日本近代思想体系6 教育の体系』(岩波書店)▽勝田政治『明治国家と万国対峙』(角川選書)▽毛利敏彦『江藤新平―急進的改革者の悲劇』(中公新書)▽同『明治六年政変』(同)▽辻田真佐憲『文部省の研究』(文春新書)▽山本博文ほか『こんなに変わった歴史教科書』(新潮文庫)▽大江志乃夫『徴兵制』(岩波新書)▽加藤陽子『徴兵制と近代日本1868-1945』(吉川弘文館)▽佐々木寛司『地租改正―近代日本への土地改革』(中公新書)▽田中彰『岩倉使節団「米欧回覧実記」』(岩波現代文庫)▽ドナルド・キーン『明治天皇(二)』(新潮文庫)▽高校歴史教科書『詳説日本史B』(山川出版社)

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加熱式たばこ増税案 シェア拡大・低税額狙い撃ち?|出世ナビ|NIKKEI … – 日本経済新聞

 タバコの葉を燃やして煙を吸うのではなく、専用の機器で加熱して発生した蒸気を吸う「加熱式たばこ」に切り替える人が増えています。この加熱式たばこに2018年度税制改正で増税しようという議論が自民党内に出ています。

 現在、日本たばこ産業(JT)など3社が異なるブランドの加熱式たばこを販売しています。たばこ市場全体に占める加熱式の割合は現在、数量ベースで10%を超えているとの調査があります。

 こうした加熱式の普及で影響が出ているのが税収です。第一生命経済研究所と共同通信社が行った調査によると、17年のたばこ税の税収は前年より500億~780億円程度減少する見通しです。

 紙巻きたばこは1箱当たり約244.9円が課税されるのに対し、加熱式たばこへの課税はブランドにより約34.3~約206円。税額の低い加熱式たばこの人気が高まることで、税収が減っていくとのことです。20年の税収額は16年時点に比べて2000億~3000億円程度減る可能性も指摘しています。

 増税論には1箱当たり税額が低い加熱式の広がりによって税収が減ることを避ける狙いがありそうです。加熱式を狙い撃ちすることに問題はないのでしょうか。

 大阪国際がんセンターの大島明特別研究員は「健康被害の大きい紙巻きたばこに戻る人が増えるのでは」と心配しています。JTは世界保健機関(WHO)が含有量を低減するよう強く推奨している9つの有害物質について、加熱式は紙巻きたばこに比べて99%減らすことができたと公表しています。米フィリップ・モリス・インターナショナルも加熱式ブランドで有害物質の削減を高い水準で達成したと公表しています。

 実際の健康への影響については公的機関など中立的な立場からの調査を待つ必要もありそうですが、「税収減の穴埋め」という観点だけで増税するのは政策論議として不十分かもしれません。一方で、たばこ税を巡っては健康被害を防ぐ観点から全体でもっと増税すべきだとの主張も根強くあります。その場しのぎではない「健康と税制」の腰を据えた議論が要りそうです。

大阪国際がんセンターの大島明特別研究員「たばこの害を減らす現実的な考え方を」

 たばこの健康被害と増税の関係についてどう考えたらよいのでしょうか。大阪国際がんセンターがん対策センター・大島明特別研究員に詳しく聞きました。

大阪国際がんセンター がん対策センター特別研究員 大島明氏

 ――たばこによる健康被害について日本の取り組みをどうみていますか。

 「日本はほとんど何もしていません。世界では2005年に『たばこの規制に関する世界保健機関(WHO)枠組み条約』が発効しています。日本も批准していますが、対応は遅れています。諸外国ではたばこのパッケージに真っ黒な肺などかなりきわどい絵を描いたり、メディアで反たばこキャンペーンをしたり、様々な取り組みがあります。大事なのは喫煙者が禁煙したいような環境をつくることです。たばこの害を啓発するということだけでなく、受動喫煙防止の法的な規制や、たばこ価格の引き上げなども必要です」

 ――たばこ税の引き上げは喫煙率の減少に効果がありますか。

 「直近では民主党政権がたばこ税を上げました。これで喫煙率ががくっと減りましたが、税収は減らなかった。これはみんなが喜ぶ政策です。これからもどんどん増税したらいいと思っています。世界的に見て日本のたばこは安い。となりの韓国にも抜かれています」

 ――加熱式たばこだけを増税することについてはどう考えますか。

 「それはおかしいと思います。害が大きいものには税が高くなり、害が小さいものの税は低くしなくてはいけない。加熱式たばこは紙巻きたばこに比べて害は少ないのですから、そこだけ増税するのはおかしい」

 ――加熱式たばこは健康の害がほんとうに少ないのでしょうか。

 「たばこ販売会社が出しているデータしかないのが現状です。本当のところどうなのかというのは、公的な研究機関がきちんと調べなければいけない。そういう研究費をつけるべきです。ただ、たばこ販売会社が害が少ないと言っただけでシェアが10%も伸びるほど喫煙者も単純ではないと思うので、害が少ないと体感できているのではないかとも思う」

 ――加熱式たばこの害が比較的少なかったとしても、害がある物の税はすべて上げていいという発想もあります。

 「それは予防原則と呼ばれる考え方ですが、紙巻きたばこがここまではやっている日本でそうすると、加熱式への切り替えが進まず、紙巻きだけが残るという事態になる可能性があります。ですから、予防原則ではなく『ハームリダクション(害を減らす)』という考えに立つべきです。加熱式への切り替えの道を閉ざすべきではない」

 ――そもそも禁煙すればいいのではないでしょうか。

 「世間では『たばこを吸うのをやめればいい、やめたひともたくさんいる』という意見もあります。でも、わざわざ禁煙外来に来ても1年後に禁煙できている人は3割にとどまります。それくらい禁煙は難しい。予防原則を徹底すると、禁煙するか紙巻きたばこを吸って死ね、ということになります。それが医者としてとる道だとは思いません」

 「紙巻きから加熱式に変えて、そこから禁煙するという二段構えもあるわけですから、日本もハームリダクションという現実的な考え方を取り入れてはどうでしょうか」

(久保田昌幸)

小池新党「内部留保課税」を課税推進派の財務省さえ見放す理由 – ASCII.jp

消費増税凍結の代替財源に
希望の党がぶち上げた内部留保課税

「消費税増税凍結の代替財源として、約300兆円もの大企業の内部留保の課税を検討する」──。

 小池百合子東京都知事率いる「希望の党」が掲げたこの公約が今、有識者などから集中砲火を浴びている。

 批判される理由はただ一つ。代替財源にはなり得ないからだ。

 企業の内部留保とは、事業で得た利益から法人税などの税金や株主への配当などを支払った後に残ったお金のこと。企業の財務諸表には「利益剰余金」などとして計上されており、財務省の統計によると2016年度時点で406兆円(金融・保険業を除く)にのぼっている。

 名前からして、企業の中に巨額の現金が眠っているようにも見えるが、そうではない。現金ではなく、固定資産として建物などに姿が変わっているケースも多いからだ。

 企業会計の初歩的な話であり、それを理解していれば内部留保に課税するということが「二重課税」の問題を招くなど、税金の仕組み上、いかに難しいかはすぐに分かったはずだ。

与党も税制改正議論で
俎上に載せた経緯が

 にもかかわらず、希望の党はなぜ公約のど真ん中に、わざわざ課税と盛り込んだのか。会計や税金の仕組みを知らなかったということを除くと、考えられる要因は大きく二つある。

 一つ目は、生煮え段階であっても、もっともらしい「財源」を示して有権者の支持を得ようとしたことだ。

 与党が「消費税の使い道を変える」と言ったことに対抗して、希望の党は「消費増税凍結」を打ち出している。そのため、代わりに所得税など別の税金を増税するわけには当然いかず、有権者個人には「直接」の痛みがないよう、財源の拠出先として企業をターゲットに据えたわけだ。

 二つ目は、内部留保課税について企業や中央官庁がしがらみの中で無理筋だと騒いでいるだけで、実は制度設計が可能あり、かつ他の政党とも一致団結して取り組めると踏んでいた可能性だ。

 企業の内部留保を巡る議論は実は以前からあった。現に、共産党が過去の選挙で幾度となく「内部留保を使った賃上げ」を訴えている。

 また、自民、公明の与党も毎年の税制改正論議の中で、内部留保を活用した新たな雇用創出などについて俎上に載せた経緯があり、最近では、麻生太郎副総裁兼財務相が経済団体の講演の中で、内部留保を使った社員の住宅費補助を提案する場面もあった。こうした与野党の言動を踏まえて、「国会の場で異論が出にくく、財源として使える」と考えたフシがあるのだ。

 しかしながら、他の政党はあくまで内部留保を「活用」と言っているだけで、公の場で「課税」とまでは言っていない。

 それは課税のハードルが制度上相当に高く、政治が押し切れば実現できる類のものではないということを知っているからだ。

 税務当局の財務省は、「前年に比べて内部留保が増加した部分について課税できないかといった頭の体操は、主税局を中心にこれまで何度もしてきた。ただ税制の原則上、二重課税に当たってしまうため、やはり課税することは難しいというのが今の結論」と幹部は明かす。

兆円単位の税収見込めず
消費税に代わり得ない

 さらに、「仮に何らかの形で課税に踏み切れたとしても、兆円単位の税収を見込むような設計はまず無理。消費増税に代わる財源には到底なりえない」と、この幹部は話す。

 財源確保に向けて、味方になるはずの財務省ですらそうした認識を持っていることを、果たして希望の党がどこまで認識していたのかは疑問だ。

 希望の党の小池代表は、ここまで批判が高まることを想定していなかったのか、内部留保について「企業の主体的な取り組みに委ね、課税に固執しない」といった趣旨の発言を始めており、すでに軌道修正を図っている。

「あの新党にはまともなブレーンがいなんだな」。与党にそう鼻で笑われた今回の内部留保課税問題。政策の独自色を優先するあまりに露呈した詰めの甘さを、有権者は一体どう評価するのだろうか。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 中村正毅)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら



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